先週に引き続き、NHK土曜ドラマスペシャル「あっこと僕らが生きた夏」続編を観ました。

“なんだNHK、ちゃんと番組作れるじゃん・・・”と妙にひと安心。

実在した高校野球部の女子マネージャー「あっこ」こと大﨑耀子(おおさき あきこ、1990年11月22日ー2008年10月29日)の姿を、彼女の死後発見された闘病ノート(日記)と取材記録をまとめて、2011年7月20日に講談社から発売された「あっこと僕らが生きた夏」(著者:有村千裕さん)の書籍をドラマ化したものです。

16歳で発見された上咽頭ガン・・・年齢は関係ないんだなぁ・・・

NHK土曜ドラマスペシャル「あっこと僕らが生きた夏」番組HP

あっこ役の川島海荷さんは「あっこちゃんは、自分と似ているなあと、運命を感じました。」と、コメントしているだけに、一日一日を一生懸命生き、最後まで希望を捨てない、諦めない気持ちが伝わってきました。 また、原作を書かれた有村千裕さんは読売新聞の元新聞記者で、08年に初任地の大分支局で夏の甲子園予選を取材し、闘病をしながらマネジャーを務める大崎耀子さんを知ったそうです。そして、亡くなった後も取材を続けていましたが、翌年、有村千裕さん自身が病で倒れ、闘病生活を余儀なくされました。

しかし、入院中に野球部の監督から執筆の打診があり、「人の命や心を大切にする記者になりたい」という志と、「あっこちゃんの事実を残したい」との想いから、病気を押してお母さんと一緒に取材に出て、その後、原作本【あっこと僕らが生きた夏 17歳女子マネージャーがナインに託した、命のバトン (有村 千裕著)】を出版されたそうです。ご本人は「彼女のことを同情でなく、共感の気持ちで書けた」と信じているとコメントされています。ご本人の人柄が、文脈に出ているような気がしました。本や曲を作る方は、作品を「命を削りながら作る」と聞いたことがありますが、噛みしめて読みたい1冊です。

記者、たまに家庭教師、有村千裕の奮闘ブログ

2011年7月20日に講談社から発売された「あっこと僕らが生きた夏」の著者有村千裕のブログ。現在は家庭教師としても活動中。毎日の奮闘振りや、エッセイなども更新します。物書き、そして家庭教師として、魂こめた仕事をします!

http://writerarigo.blog.fc2.com/

大岡越前祭終了

巷で話題沸騰?の「大岡越前祭」ですが、大きな問題もなく終了したようですね・・・雨が多少降ったと思われますが、「ビッグパレード」がどれぐらい「ビッグ」か、恐いモノ見たさ(ゴメンナサイ)に見てみたかったです。

しかし、土日とも仕事ではいかんともしがたく、せめて祭りの雰囲気だけでも感じたくて、携帯で写真を撮りました。私が記憶している限りでは、昔、テレビで「大岡越前」をライブで放送していた頃に、何度となく主演の加藤剛さんや宇都宮雅代さんが、大きなオープンカーで北口駅前~南口駅前をパレードされたことがありました。

茅ヶ崎駅前に両口ともに小さなロータリーがあり、便利を求めてゴチャゴチャと建造物が乱立していなかった、あっさりとしたのんびり感がありましたが、南口駅前の辻堂側に「輪タク」なるバイクのサイドカーのタクシー業がなくなった頃から、駅前開発は試行錯誤を繰り返しながら、今に至っているような気がします。

ガンプラ挽歌何気ない日々 ガンプラ挽歌何気ない日々2

(左写真)

4月21日土曜日早朝:わかる人にはわかると思いますが、「茅ヶ崎斎場 小清水商会」側から一国(国道一号線)方面を見た所です。

昔、私が子供の頃には、ここに木造の白い市役所庁舎があり、現在の市役所の場所には、市立病院がありました。高校時代のここは、平面の無料の自転車・バイクの駐輪場でした。そして、いつの頃からか5階建てくらいのビルが乱立しだして、今に至っています。テキ屋の縄張りも決まり、出店でごった返していました。

(右写真)

4月22日日曜日早朝:同じ場所です。祭り2日目を静かに待っている感じです

ガンプラ挽歌何気ない日々4 ガンプラ挽歌何気ない日々3

(左写真)

4月21日土曜日夜:平塚市の七夕祭同様に、時間でスッパリとテキ屋営業を終了しなければならないようで、19時を過ぎて終わっていました。それでも、店閉いをしているテキ屋街を、名残惜しそうにウロウロとしている人々が多く、

(右写真)

一歩奥に入っていくと、中には「余りもんでいいから売ってくれよぉ、そこのそれでいいからよぉ」「なんで店を閉めちゃうんだよぉ、夜はこれからだろ!」と、いい気分に酔って、冷やかされている方もおられました。これも、昨年の東日本原発大震災の影響で、自粛状態が続いている影響です。

でも、テキ屋の電気は、ディーゼル燃料の小型発電機を使っているのだから、ビルに入っている店舗のほうが本来は、自粛をして、早く閉店しなきゃいけなんじゃない?と思うのですが、未だに営業時間を見直した話をほとんど聞きませんね。逆に、しばらくしてなし崩し的に、元に戻して今に至るケースがほとんどです。

ガンプラ挽歌何気ない日々が一番大切2 ガンプラ挽歌何気ない日々が一番大切1

(左写真)(右写真)

4月22日日曜日夜は、帰りが遅くなり雨がかなり降っていましたので、上の写真と同じ場所のアングルで、4月24日火曜日朝に撮影してみました。祭りが終わり、何気ない一日のスタートです。

昨年は中止となった「大岡越前祭」でしたが、見ての通りで、いつもの風景に戻りましたので、今年はたぶん無事に終ったと思われます。来年は昼間に来れるように願張りたいですね。茅ヶ崎市に住みながらも、祭りとすれ違ってしまいちょっぴり寂しい複雑な心境です。

後を絶たない暴走車 病気の発作、無差別殺傷…

ブログ記事を書いていたら、長くなってしまったので、一旦区切りました。

理由は、4月12日木曜日に起きた、京都市東山区の祇園で歩行者が軽乗用車にはねられ、通行人7人が死亡、11人が重軽傷を負った事故が頭から離れないので、事故に関する記事を別に書いているからです。

そんな中、朝、娘の登校時間に家の前の道を、娘の幼稚園時代から危ないとは思っていましたが、ブレーキを踏んだり、速度を歩行者と同じ位に落とすことを知らない、小さい子供たちの中をヌッて、走り抜けて行く車。30か40か50代のババアとジジイとネクタイをしていないアホそうな野郎がほとんどです。

「本当に危ない!」車から引きずり出して、二度と走れないようにボコボコにしてやりたいと思っていた矢先、京都府亀岡市の府道で4月23日月曜日、軽乗用車が集団登校の児童らに突っ込む事故が発生。小学2年生と、妊婦で別の女児の母親の2人+お腹の中の子供1人の合計3人が死亡、そのほか小学生の重体2人、重傷と軽傷が6人。

一方、車を運転していた野郎と同乗者2人の合計3人全員が無免許。原因は「運転中の居眠り」、軽乗用車は野郎の知人のもの、知人は逮捕しないのか。野郎は約2年前、無免許で原付きバイクを運転、検挙されたことがある。これも一種の病気だ。

ただ、どちらの加害者家族も、もう一歩踏み込むことで、事故を防ぐことは出来なかったのかと。身内にこんな事件・事故をおこしたのが居ると、結局は、その家族も社会的に追われて、平穏な日々が送れなくなるのですから、加害者にも被害者にもならない努力をしたいと思います。

編集後記

最後までお読み頂き、ありがとうございました。

気分を変えて、祭りのあとは、やっぱり寂しいですね。昔、「1人暮らしの自分の部屋に、友達が遊びに来てくれるのは嬉しいが、みんなが帰った後の静けさの中で感じる一瞬の寂しさ、部屋に温もりが残っているのに、そこに誰も居ないのがイヤだ」と言っていた友人を想い出します。

歌詞では、吉田拓郎の「祭りのあと」のほうがズバリでしょうが、やっぱり私はこちらが好きです。

桑田佳祐 – 祭りのあと