はてさて、都市伝説的な不思議なお正月風景のご紹介の最終回です。今回も「いま更・・」的な記事として、来年のために「お正月の自由帳」に綴っておこうと思います。

前回までに「お飾り」「鏡餅」とご紹介しましたが、今回は「お飾り」や「鏡餅」を、お正月後にどうしたかのご紹介となります。

「母さん、あのお正月の食品はどうしたのでしょうね?」

と、思わず言いたくなってしまいます。

第二次世界大戦の連合軍や機動戦士ガンダムのビグザムを連想してしまうほどの、圧倒的な物量を目にしていたのに、今では「そんなことがあったのだろうか?・・・」と思ってしまうほど、「消費税前の最後のチャンス!」とか「まとめ買いが超お得!」とか「いつ買うの?今でしょ!」などの、4月1日から引き上げられる消費税増税に関する売り場に、取って代わられているのでした。

豊臣秀吉の辞世の句といわれる「浪速のことも夢のまた夢」を噛み締めて、人の世の流れの儚さを重ねてしまいました。

売り場狭しと並ぶおせち料理材料

売り場狭しと並ぶおせち料理材料

ところで、皆様のお宅では、お正月のお飾りや鏡餅をその後どうされたでしょうか。

お正月のお飾りや鏡餅は神様への供え物なので、一般的には「松の内に下げたり食べたりせず飾っておく。」「松の内が終わりお供えが終了した後は、飾ったままにせず下げる。」といわれています。

しかし、お正月とは、本来旧暦1月の別名ですから、改暦後は新暦1月を意味することもあるのです。そして現在では「三が日」または「松の内」と混同して使用することが多いようで、1月31日までが正月といわれたりもします。

「いつ下げたらいいの?今でしょ!」という訳にはいきません

実は、よくいわれる「松の内」は、元々は1月15日まででしたが、現在、一部地域では1月7日までに短縮しています。

これは、寛文2年(1662年)1月6日 (旧暦)、当時の江戸幕府が1月7日 (旧暦)を以て飾り納めを指示する旨の、最初の通達が江戸の城下に発せられており、それに倣った風習が徐々に関東を中心に広まったと考えられています。

そして、お正月が終わり下げた餅は「鏡開き」を行い、餅を食することになります。

鏡は円満を、開くは末広がりを意味し、また刃物で切るのは切腹を連想させるので、手や木鎚で餅を食べやすい大きさに分解します。昔の鏡餅は、現代の真空パックなどになっていませんでしたから、青カビが発生して、硬すぎるほどに乾燥しひび割れていました。

ですから、鏡餅を食べる前に、青カビをタワシで水洗いしながら落とし、床に落として割ったり、ハンマーとマイナスドライバーで砕いたりして、主に汁粉や雑煮などにして食べていました。

考えてみれば、現代では鏡開きの手間を簡略化するため、プラスチック容器などで包装した状態で売られている鏡餅が当たり前ですから、随分と便利で衛生的になりました。

「どんど焼き」に行ってきました

本来なら、鏡餅を木の枝や竹竿に巻き付けて、熾(お)き火で焼いて食べるのでしょうが、我が家の場合は、小さな干支のウマのキャラクターが、ダイダイの代わりに乗った小さな鏡餅を買ったのですが、お汁粉にして食べてしまいましたので、近所の神社で行われた「どんど焼き」には、米粉で作ったお団子を、河原で拾ってきた柳の枝に付けて、外した小さなリース型のお飾りと一緒に持って行ってきました。

どんど焼きのだんごは熱々で香ばしい

どんど焼きのだんごは熱々で香ばしい

一般的に「どんど焼き」は、小正月行事の火祭りとして、日本の国民行事といわれています。

元々は、松の内が終わる小正月の1月15日 (旧暦)後の、1月20日 (旧暦)に行われていましたが、徳川三代将軍の徳川家光の没日が慶安4年(1651年)4月20日 (旧暦)であったため、1月20日を忌日として避け、その後はいくつもの変遷の後に、現在ではおおむね松の内(1月7日)が終わった後の、1月11日に行われるのが一般的なようです。また、京都では1月4日に鏡開きを行う地域があったりするなど、日付は地域や場所によって異なっています。

ちなみに、我が家では、わざわざ柳の枝に団子を付けて持って行きましたが、いざ来てみると炎の威力や風の影響で、柳の枝が焼けてしまったり、うまく炎に当てるのが大変でした。

しかし、子供たちは、団子が黒く焦げていようが、地面に落ちて砂まみれになっていようが、たくましく熱い熱いといいながらも、普段から何も食べさせていないかのように、むしゃぶりつく様に、ガッついて食べていました。これなら別の意味で、丈夫に育つでしょうね。

来年からは、2m位の長い竹の先に、針金を輪にして、その針金に数珠のように団子を付けてリベンジしたいと思います。

これでご利益にあやかれます!どんど焼きだんご

これでご利益にあやかれます!どんど焼きだんご

最近では火を燃やすということが、特別なこととなりましたから、こういう風習が珍しくもなり、だからこそ人々が集まるきっかけとなっているような気がしました。

最後に、東日本大震災はどんど焼きにも打撃を与え、影響はまだ続いている地域もあるそうで、栃木県那須塩原市では2014年1月14日、3年ぶりにどんど焼きが復活したそうです。

これは、東京電力福島第1原発事故の発生以来、ワラなどに含まれる放射性物質の拡散を防ぐため、どんと焼きが中止されていたのですが、今年、放射性物質による空間放射線量率が低下してきたことから、市民の要望を受けて(1)地域住民の十分な理解を得る、(2)材料は今年の稲わらなどを使う、(3)灰は市クリーンセンターに持ち込み処理する、(4)実施前後で空間放射線量率を測定して周囲に影響がないことを確認する、の4項目を条件に3年ぶりにどんど焼きの再開が認められたのです。

こういう所にも、原発の負の遺産が影響するのですから、おぞましい限りです。我が家の地域では、お飾りのパーツを分別するだけで火にくべることが出来ましたので、早く全国でどんど焼きが安心して出来る日が来ることを、願わずにはいられませんでした。

そして世の中の人々全てが、今年一年無病息災間違いなし!で、ありたい!と願います。