今年は戦後66年目にあたり、多くの犠牲者が出た東日本大震災と福島の原発事故が発生した年でもあります。みなさんは、どのようなお盆を過ごされたでしょうか。私はと言えば、坂上二郎さんではないですが「飛び飛び」の休みを、海軍大将「井上成美」や陸軍大将「今村均」(奇しくも2人とも宮城県仙台市出身)の事を考えながら、もひたすら引っ越しの片付けにお盆休みを費やしておりました。

Wikipediaより 井上成美

(いのうえ しげよし、1889年(明治22年)12月9日 – 1975年(昭和50年)12月15日)、最終階級は海軍大将。宮城県仙台市出身。親英米派(条約派)の米内光政、山本五十六の人脈に属し、日独伊三国軍事同盟、日米開戦に強硬に反対した。最後の海軍大将として知られたが、戦後はほとんど人前に出ずに生涯を終えた。

Wikipediaより 今村 均

(いまむら ひとし、1886年(明治19年)6月28日 – 1968年(昭和43年)10月4日)、最終階級は陸軍大将。宮城県仙台市出身。温厚で高潔な人柄と占領地での軍政・指導能力は高く、戦後は総じて評価が低い傾向にある昭和期の日本軍高級軍人達の中では、数少ない名将という評価を受けている。その人柄、エピソードは今日でも旧占領国の現地住民のみならず、敵国であった連合国側からも称えられている。

他にも、バロン西こと「西 竹一」など・・・は、長くなるので、またの機会に。

今回は富山市岩瀬をご紹介

まあ片付けも、やっとひと段落なので、これでぼちぼち模型作りが出来る環境が整いました。今回は、前々回の 富山駅北口 と前回の PORTRAM の続きを・・・

富山駅北から「PORTRAM」(ポートラム)に乗ると、終点の岩瀬浜の2つ手前に、東岩瀬と言う駅があります。ここには、旧富山港線時代から残る唯一の駅舎が保存されています。現在は、休憩所として利用できます。
[wc_row][wc_column size=”one-half” position=”first”]

15-P1040573

[/wc_column][wc_column size=”one-half” position=”last”]

16-P1040574

[/wc_column][/wc_row]

富山市は2005年(平成17年)4月1日の、俗に言う平成の合併により、全国の都道府県庁所在地の中で2番目に広い総面積を持つようになり、富山県内の約30%の面積を占め、一つの市区町村が県内に占める面積割合としては全国一です。また、日本全国に52個所ある、国際会議観光都市に選定されています。
[wc_row][wc_column size=”one-half” position=”first”]

17-P1040556

[/wc_column][wc_column size=”one-half” position=”last”]

18-P1040565

[/wc_column][/wc_row]

ちょっと途中下車で、古い駅舎を覗きました。

富山港線時代は全部ではないですが、このような木造の駅舎で、ホームの高さが電車に合わせて高く、生活感のある人々が行き来していました。
[wc_row][wc_column size=”one-half” position=”first”]

19-P1040586

[/wc_column][wc_column size=”one-half” position=”last”]

20-P1040575

[/wc_column][/wc_row]

昔は、行商の荷物を担いだ人が結構いました。ウチの父方のばあちゃんも輪島の方や高岡の方まで、海産物などの行商で利用していました。

中に入ると、壁には古い写真やポスターが貼られ、トイレもあります。
[wc_row][wc_column size=”one-half” position=”first”]

21-P1040578

[/wc_column][wc_column size=”one-half” position=”last”]

22-P1040727

[/wc_column][/wc_row]

(上右)正面には昔の改札口が再現されています。今のように、機械で「ピッ」だけの無機質で冷たい感じではなく、「木」を使っているせいからか温かさを感じます。何でも機械化せずに観光に力を入れるのであれば、そこには「人」がいなければ、魅力は半減してしまうと思うのですが・・・そうすれば、そこには「生きる名物」としての観光資源が出来、また来た時に、また来たいとリピーター化するのではないかなどと、座りながら考えてしまいました。
[wc_row][wc_column size=”one-half” position=”first”]

23-P1040726

[/wc_column][wc_column size=”one-half” position=”last”]

24-P1040576

[/wc_column][/wc_row]

(上左)この「旧東岩瀬駅」が、「とやまの近代歴史遺産百選」に選ばれた際の認定書です。百選となっていますが、正確には現在106の名所旧跡等が選ばれており、例えば、黒部のダムやその周辺施設、東岩瀬のような駅舎、小学校、医院、橋、富岩運河やその周辺施設、庁舎、工場、ビル、トンネル、高岡古城公園などの史跡、図書館、酒蔵、醤油蔵など、多岐に渡ります。

26-P1040568

詳しくは、、富山県教育委員会 生涯学習・文化財室が運営されている、 富山県デジタル文化財ミュージアム の「企画展示室」で、PDF形式で公開されています。

25-P1040570

岩瀬には、「岩瀬**町」と言う町が多く、

岩瀬赤田町、岩瀬天池町、岩瀬池田町、岩瀬入船町、岩瀬梅本町、岩瀬御蔵町、岩瀬表町、岩瀬古志町、岩瀬諏訪町、岩瀬高畠町、岩瀬天神町、岩瀬萩浦町、岩瀬白山町、岩瀬文化町、岩瀬前田町、岩瀬松原町、岩瀬港町

と、17に細かく分かれています。

岩瀬カナル会館と岩瀬運河

カナル【canal】 とは「運河」のことで、カナルグランデ【Canal Grande】と言う、イタリア北東部ベネチアにある大運河が有名です。

ちなみに他には、管、導管の意があり、カナルせん【カナル線】とは、真空放電の時に陽極から陰極に向かう、高速の陽イオンの流れをカナル線と言うそうです。

そんな岩瀬カナル会館は、平成6年4月にオープンした岩瀬運河沿いにある観光拠点施設です。館内には、海産加工品や特産品が、展示販売されています。また、レストランや和食・寿し店の食事処で、岩瀬の新鮮な海の幸を味わえます。展示スペースには富山ガラス工房の作品や、岩瀬曳山車祭」資料などの展示もされています。
[wc_row][wc_column size=”one-half” position=”first”]

27-P1040581

[/wc_column][wc_column size=”one-half” position=”last”]

28-P1040582

[/wc_column][/wc_row]

(上右)岩瀬諏訪神社は万治2年(1659年)西岩瀬から東岩瀬に勧請され、文政10年(1827年)諏訪町に遷座。その後、昭和17年(1942年)当地に遷座しました。境内の大ケヤキは、樹齢1000年以上と称されています。

(下左)富山港展望台は琴平社の常夜燈をモデルにして、昭和60年(1985年)に富山市の海の玄関口として、富山港のイメージアップを図るため作られました。高さ最大高が24.85mあり、晴れた日には立山連峰を望むことが出来ます。
[wc_row][wc_column size=”one-half” position=”first”]

29-P1040583

[/wc_column][wc_column size=”one-half” position=”last”]

30-P1040584

[/wc_column][/wc_row]

(上右)森家は北前船回船問屋で、国の重要文化財に指定されています。1878年(明治11年)に建てられ、当時の北前船最盛期の繁栄を象徴するかのような、豪壮な構えで、吹く抜けの梁は圧巻です。岩瀬は2度の大火を経験していますが、北前船の財力のお陰で立ち直っています。

(下左)琴平社は神通川の網干場に鎮座し、金毘羅堂と称していましたが、明治7年(1874年)に現在地に遷座。境内にある常夜燈は、慶応元年(1865年)に建てられ、当時は燈台の役割も果たしており、高さが6mと通常の常夜燈よりかなり高く造られています。
[wc_row][wc_column size=”one-half” position=”first”]

31-P1040585

[/wc_column][wc_column size=”one-half” position=”last”]

32-P1040580

[/wc_column][/wc_row]

(上右)北前船は江戸時代から明治時代にかけて、北陸以北の日本海沿岸諸港から関門海峡を経て、瀬戸内海の大坂に向かう航路及び、この逆の航路を行きかう船のことです。航路は後に、蝦夷地(北海道・樺太)にまで延長されました。

(下左)「富山ライトレール」の終点「岩瀬浜駅」です。ここから、「競輪場前駅」までの距離は約500mと大変近いのですが、ほぼ中間地点で「岩瀬運河」を渡ります。「浜」とはいえ、「駅」から北へ約400m行かないと、「岩瀬浜」や「岩瀬浜海水浴場」の海に、突き当りません。
[wc_row][wc_column size=”one-half” position=”first”]

35-P1040622

[/wc_column][wc_column size=”one-half” position=”last”]

36-P1040795

[/wc_column][/wc_row]

(上右)富山港線時代の駅の看板です。1999年に帰省した時の写真です。

(下左)現在の、「岩瀬浜駅」です。ここから、「フィーダーバス」が新潟方面の「水橋漁港前」まで運行しています。また、隣接している「岩瀬カナル会館」とは、旧ホームの跡地を利用した歩道で結ばれています。
[wc_row][wc_column size=”one-half” position=”first”]

37-P1040628

[/wc_column][wc_column size=”one-half” position=”last”]

38-P1040794

[/wc_column][/wc_row]

(上右)富山港線時代の「岩瀬浜駅舎」です。保存されている「東岩瀬駅舎」とよく似ています。帰省する時は、茅ヶ崎駅で行きの切符だけ買い、帰りの切符はわざわざこの「東岩瀬駅」で購入をしていました。そんな地元貢献も虚しく、その後駅は無人化され、そして現在のライトレールへと変わりました。

(下左)ライトレールが入って来ました。 
[wc_row][wc_column size=”one-half” position=”first”]

39-P1040658

[/wc_column][wc_column size=”one-half” position=”last”]

40-P1040796

[/wc_column][/wc_row]
(上右)富山港線時代の車両です。こんなに変わってしまったか・・・浦島太郎の気分です。

Wikipedia 岩瀬浜駅によると、

1924年(大正13年)7月23日、「富山口駅」⇔「岩瀬港駅」として開業。
1927年(昭和2年)12月15日、貨物の取扱を開始。
1938年(昭和13年) 1月1日、「岩瀬港駅」から「岩瀬浜駅」に改称。
1943年(昭和18年) 6月1日、国鉄富山港線駅として、現在地に移転。
1884年(昭和59年) 2月1日、貨物の取扱を廃止。東ソー専用線廃止。
1987年(昭和62年) 4月1日、国鉄分割民営化で、西日本旅客鉄道。
2006年(平成18年) 3月1日、廃止。
2006年(平成18年)4月29日、「富山ライトレール」の駅として再開業。
と、ありました。

(下左)駅から北の「岩瀬浜」の海の方角を見ると、線路が止まって行き止まりですが、(方角の北が海でちょっと混乱します。南が海という固定観念のせい?)
[wc_row][wc_column size=”one-half” position=”first”]

41P1040621.jpg

[/wc_column][wc_column size=”one-half” position=”last”]

42-P1040659

[/wc_column][/wc_row]

(上右)その先は、なんとなく「道」として残っていました。これは現在の「岩瀬浜駅」から先に、貨物の駅があった名残で、昭和の終わり頃まで線路とコンクリートのホームの残骸が、漁港近くに残っていました。

最後に、岩瀬といえば「岩瀬曳山車祭」が有名です。曳山車同士がぶつかりあう、勇壮な伝統祭礼行事です。 頑丈に造られた山車(だし)の上に「たてもん」と呼ばれる飾りを取り付けた、14基の曳山車(ひきやま)を、若者達が威勢よく町内を曳きまわします。「たてもん」には商売繁盛や、大漁への願いが込められており、毎年、曳山車ごとに新造するため、どんな絵柄が登場するかが、見どころのひとつとなっています。

日中は、古くから伝わるお囃子にあわせて町中を曳き回し、祭りのクライマックスとなる夜10時30分時ころからは、「岩瀬諏訪神社」前の直線道路などで、二手にわかれた曳山車同士が、正面から激しくぶつかり合って力を競い合う「曳き合い」が行われます。祭りの日は曜日に関係なく、毎年5月17日・18日で、17日の「曳き合い」が「諏訪神社」前、18日の「曳き合い」が「忠霊塔」前となっています。

43-P1040620

昔、伯母さんが伯父さんの事を「この人は、私が産気づいて苦しがっているのに、曳山に行ったきり2日も帰って来なくて、帰って来たかと思ったら、生まれたのか?なんて、人ごとみたいに言ってたんだから!」と言えば、伯父さんは「しょうがないだろう、曳山なんだから!」と、意味不明な弁解をしていました。まあ、その時に生まれた従兄のあんちゃんは、今では、孫もいて立派になっているのですから、メデタシメデタシでしょうか。

<編集後記>

本日も、ご覧いただきまして、ありがとうございました。

随分と長い記事となってしまいましたが、戦争について何回か記事に書こうとしては辞め、その合間に「岩瀬」についての記事を書いていたりと、繰り返していたら、こんなになってしまいました。

分ったつもりの浅い知識で、戦争についての記事は書けませんでしたので、亡くなった方々のご冥福をお祈りするばかりです。

東日本大震災で被害を受けた方々に、一刻も早い復旧と復興を心から祈り、kizuna311を応援したいと思います。

絆[kizuna311]助けあい、乗りこえる。私たちの財産は [kizuna]

の中から本日は、#44 Dedicated to the people of Japan from Spain

スポンサーリンク