あれから1年が経ちました

1年が経ちましたね。

昨年の3月11日金曜日は、みなさまはいかがでしたでしょうか。

私は、小林克也さんの「ファンキーフライデー」を聞きながら、仕事で社用車を運転して、横浜市港北区あたりを走っていました。幸いそんなに大きな道路ではなかったので、すぐに車を停めて、地震が過ぎるのを待つのみ。

歩道には人々が飛び出て来て、大きな声と構造物がキシんだり、ぶつかったりして、異様な音を上げており、電信柱と電線は縄跳びのように大きく揺れて、自分は立っているのがやっとの状態でした。

ただ・・・津波と原発さえなければと想います。

津波は天災としてくくれば、【原発さえなければ】という想いです。

放射能汚染は除洗出来ないのですから、どうしょうもありません。チェルノブイリを見れば、誰でも分かります。

正確には「東日本原発大震災」です。放射能汚染による復興の遅れは、これからも重く圧し掛かり、進まないでしょうね。1年が経って、これですから。それでも、生かされたことに感謝をしながら、一緒に生きて生きたいと想います。

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塩釜港に碇泊する「第八十三 惣寶丸」

謹んで東日本大震災で被災された みなさまにお見舞いを申し上げます。

被災地の特にメンタル面での早い復興を、心よりお祈りいたします。

桑田佳祐さん「TSUNAMI、歌える日がきたら」

桑田佳祐さんが、FMラジオの番組内で「TSUNAMI」を、「いつか大震災の悲しみの記憶が薄れ、この曲を歌ってくれという声があれば、復興の象徴として歌える日がきたらいいと思っている」と話されました。

桑田佳祐さんは、震災後、ライブで「TSUNAMI」を一度も歌っていません。

「葛藤もありました。空気を読んだわけじゃないですが、被災された方や遺族の中にはファンもいた。この曲を歌うモチベーションにはつながらなかった」と複雑な思いを吐露したそうです。

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あれから1年が経ちました” に対して2件のコメントがあります。

  1. yokoblueplanet より:

    こんにちは。
    同じ気持ちで読ませていただきました。
    私はあの大地震の一日前にアメリカへ出発し、こちらに到着後日本の大地震をニュースで知りました。津波の被害だけでも大変なのに,原発での複数爆発。
    それ以来,世界が変わりました。
    原発がなければと書き置きして命を絶たれた方も居られましたね。
    そのような方々の想いを引き継ぎ、残された我々が廃絶へ歩みを進めなければと思っています。これからもよろしくお願いします。

  2. 砂まじりの茅ヶ崎 より:

    コメントありがとうございます。原発事故後、アメリカ軍が80キロ内立ち入り禁止と聞いて、事の重大さを感じましたが、日本政府はワザと事故を小さく見せる小細工をして、根拠のない20キロが未だにそのままですね。デタラメ委員長なんか、疲れたから辞めたいだぁ?、昔なら一族郎党打首獄門です!。「パニックを引き起こすから、正確な情報は与えない」なんて、日本国民をずいぶんとバカにしていた政府は、最近では、枝野をはじめ、当時、メディアによく出ていた連中は、地中に潜ってなりを潜める始末。体を張って願張っている天皇陛下を、見習って欲しいものです。先日、「お墓に避難しますごめんなさい」と、南相馬の93歳の方が自殺されたニュースを知りました。yokoblueplanetさんのように、情報発信は必要だと思います。こちらこそ、よろしくお願い致します。

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