10月2日は『とうふの日』であります
知っているようで知らないイロイロな「記念日」、でも語呂合わせならば覚えやすく、親しみやすくなります。本日、10月2日は「豆腐の日(とうふのひ)」です。とう(10)ふ(2)の語呂合せで「とうふ」とは、何とも上手く出来ているものです。大昔のポケベル全盛の時代の、語呂合わせを彷彿とさせます。
日本豆腐協会が1993(平成5)年に制定したそうで、毎月12日を「豆腐の日」とすることもあるそうです。我が家にあるカレンダーにも、確かに毎月12日の所に小さく「豆腐の日」、毎月29日の所に小さく「肉の日」なんて、書かれていました。
日本豆腐協会からは、「栄養豊富な豆腐をもっと食べてもらおうというのが狙いです。」と、記念日に制定した抱負が書かれていました。歴史好きな私としては、やはり「豆腐」といえば、維新十傑の一人といわれる、司馬遼太郎の「花神」のモデル「大村益次郎(村田蔵六)」とからめて、宣伝して欲しいところですね。
なにせ、「大村益次郎(村田蔵六)」は、幕末にあって「豆腐は身体にいい!」「これほど身体に良い合理的な食べ物はない!」と食べ続け、人を招いては「豆腐を馬鹿にするものはけしからん!」と豆腐を振る舞い、周りからは「あの先生の所に行くと、いつも豆腐しか出ない」と、大いに嫌がられるほどの、筋金入りの豆腐ニストでした。
大村 益次郎(おおむら ますじろう) wikipedia(ウィキペディア)より
(文政8年5月3日(1824年5月30日) – 明治2年11月5日(1869年12月7日)は、幕末期の長州藩の医師、西洋学者、兵学者である。維新の十傑の一人に数えられる。
長州征討と戊辰戦争で長州藩兵を指揮し、勝利の立役者となった。太政官制において軍務を統括した兵部省における初代の大輔(次官)を務め、事実上の日本陸軍の創始者、あるいは陸軍建設の祖と見なされることも多い。元の名字は村田、幼名は宗太郎、通称は蔵六、良庵(または亮庵)、のちに益次郎。雅号は良庵・良安・亮安。諱は永敏(ながとし)。位階は贈従三位、後に従二位。家紋は丸に桔梗。
その「大村益次郎(村田蔵六)」が暗殺未遂事件に遭い、結果的に命を落とすこととなる傷を負う、京都での襲撃の、その時の席に呼ばれていたのが、後の、贈従一位大勲位公爵、第一次世界大戦後のパリ講和会議(1919年)に日本の全権特使として出席、内閣総理大臣、「最後の元老」として大正天皇、昭和天皇を輔弼した「西園寺 公望」でした。
「西園寺 公望」は悪友から、「先生の所に行っても豆腐しかでない、それよりももっといい所へ遊びに行こう」と誘われ、「そうだな」と、約束をそのままに遊びに行ったお蔭で、狂殺に遭わずに済んだのです。もし「西園寺 公望」が亡くなっていたら・・・これこそが、歴史の不思議であり、生身の人間が歴史を作っていく証拠です。
豆腐については、日本豆腐協会のWebサイトをご参照ください。
そして、どうしても、お豆腐が食べたくなったその時は、おとうふの 相模屋公式HP をご利用ください。
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