幕末維新①
【模型ネタではないですが・・・】
エアブラシが吹けない日々が続いているので、別ネタで・・・
先月、4月14日は高杉晋作の命日でした。
左は、山田某と言われますが、あまり誰だかわかっていません。中が、高杉晋作です。身長が当時の平均160cmくらいで、気にしていたらしく、長い刀を持ち、座った写真しか残していません。右は、若き日の伊藤博文です。この頃は、利輔や俊輔と名乗っていました。学校の教科書には、伊藤博文や木戸孝允や井上馨などは、偉人として、覚えるべき人物として、載っていましたが、司馬遼太郎さんの言葉に、「革命というのは、3つの段階を踏んで完成する」と、いうのがあります。明治維新を革命として、捉えた場合、①思想家が現れ、旧体制のために非業の死を遂げる。②革命家が、思想家の意思を継いで、行動を起こし、旧体制を倒す。③周旋家(事務家)が、後処理をして、新体制を作る。と、なります。
更に、①②③の中で、革命の段階で一番重要かつ高貴な精神、ポジションは、①と②、特に①だと言われます。①思想家の代表格は、やはり、長州の「吉田松陰」です。では、学校で③周旋家を教えて、摺り込むならば、①と②も、ちゃんと教えるべきだと思うのですが、革命が起こって、現体制を壊されては困るので、①と②は教えないのだろうと、勝手に分析しています。これも、「都市伝説」で有名な「フリーメーソン」の仕業かも知れません・・・分かりませんが・・・
A B C
Aは、旧千円札の肖像にもなった伊藤博文です。この人の好きなところは、奇兵隊が動かず、孤立無援となって功山寺の七卿の元に、武力クーデターの宣言、「長州男児の肝っ玉をお見します」と、単騎乗り込んだ高杉晋作に、唯一、力士隊を率いて呼応し、藩論を倒幕へと変えさせる魁となる行動を起こした点と、司馬遼太郎さんの著「坂の上の雲」の中にも出てくるセリフで、明治の元老となっている身で、「今でも、高杉さんから怒鳴られる夢を見る」と、昔の事を忘れていない点です。
Bは、木戸孝允です。幕末の「桂小五郎」のほうを、知っている人が多いかも知れません。薩長同盟の長州藩代表で、政治的な才能に秀でた人でしたが、後半生は、うつ病気味で、西南戦争の西郷隆盛を心配しながら、亡くなった、少し寂しい晩年でした。
Cは、井上馨です。幕末は「志道聞多」や「井上聞多」。伊藤博文と一緒に、長州ファイブの一員として、英国に密航しましたが、四カ国艦隊による下関戦争の報を知り、伊藤と共に急きょ帰国、その後は、高杉・伊藤・井上の3人が、長州藩を支えました。伊藤の影に隠れて、少し名前が前に出にくいですが、この人がいなかったら、高杉の活躍も無いくらい、支えとなっていました。
ざっと、さわりだけ記事にしましたが、学校でこんな風に、上記の人物の事を教えられたら、もう少し勉強した・・・やっぱしなかったか・・・
<編集後記>
本日も、ご覧いただきまして、ありがとうございました。
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の中から、本日は、 #22 セルジュ・ブロックからの手紙
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