夏休みのおとなの宿題(自由研究編)
今回は、8月の反省と振り返りです。長い永いと思っていた子供たちの夏休みも終わり、通園と通学と通勤がある、いつもの生活に戻りました。
子供たちが夏休みの絵日記を書いていて、その時に分かったのですが「子供の記憶は上書きされる」ということです。夏休み期間中に「小田原わんぱくらんど」をはじめ、「県立秦野戸川公園」「ぐりんぱ(Grinpa)」などなど・・・大変な思いをしていろいろ連れて行ったのに、夏の終わりに書いた絵日記には、息子が幼稚園から貰ってきた花火と、ドラッグストア・クリエイトで買い足した花火を、夏の最後の最後の8月30日にやった「家での花火が楽しかった!」なんて2人揃って書いており、「もっと他にも沢山お出掛けしたでしょ!」と言っても、「そうだっけぇ~」ととぼける始末。「お前らは今を生きてるなあ・・・」と、迂闊にも感心しながら羨ましいと思ってしまいました。
さて、8月は途中天候が不安定で、曇りの日が続いた時期もありましたが、おおむね34℃の猛暑日の連続で、日本列島全体が干上がりそうな陽気でした。
当サイトは、私が職場でのエアコン攻撃による体調不良で間が空いた時期があったり、連日の暑さの疲れから、思ったようにコンスタントに更新記事が書けませんでした。ただし、書こうとして下書き状態の中途半端な記事も、いくつか残ってしまいましたので、せっかくですから、遠い昔に、夏の終わりに必死にやった宿題をまとめる気分で、「大人の宿題」としてご紹介したいと思います。
開成町「あじさい祭り」追記記事
開成町「あじさい祭り 」の追加レポです。6月8日から16日まで、開成町では「開成あじさい祭」が開催されていました。車が通れる田んぼの畦道というよりも、道の両側に水路が口を広げ、脱輪してハマってしまうと大変なことになる、スリル満点の車道の両側に色とりどりのアジサイが、それぞれの花の形がさまざまですから、一層華やかでいて豪華な雰囲気を醸し出していました。水野晴郎なら「いやぁ~アジサイって本当にいいものですね」と言うと思われる、遮るもののない一面の田んぼは絶景です。
花の形をよーく観察すると、同じ形の大きさの花びらが並んでいるものと、線香花火がチリチリしているときに似た形など、自然が醸し出すさまざまな花びらの形が印象的でした。さらに、花の色は、ぼやっとしたものから、原色系の鮮やかなものまであり、土壌の成分で花の色が変わる特性を生かして、人工的に花びらの色を調節したものと、自然に色づいたものがあり、それでいて二つと同じ色が存在しないと思うほど、色とりどりの花の色のハーモニーのおかげで、心が豊かになるような気分が味わえました。
一番不思議だったのは、「赤いアジサイ」です。今まで生きてきて見たことがない色です。チョッと邪道な気がしましたが、世の中「今日の非常識は、明日の常識」と言われる場合もありますから、ここはいろいろな角度から観察をしてみました。
京都の漬物や赤カブを連想します(食べるものを連想するのは私だけ)。原色かと思いきや、よく見ると、なんかジワッと染みたような色合いです。途中、ここに来るまで見かけなかった色ですから、プランターで栽培したからこそ、出しえた色のような気がします。いずれにせよ見れば見るほど、不思議な気持ちにさせられる、赤いアジサイでした。
ヒマワリ娘
娘のリクエストで、我が家の庭に種から蒔いたヒマワリ、正確には「ミラクル・ビーム」という種類が、8月前後に見事に咲き誇り、「ビグ・ザム」のような圧倒的な存在感を示していました。普通のヒマワリは大きな花が1本に1輪咲くタイプですが、これは1本にこれでもか!というくらい、コンパクトな花を鈴なりに咲かせるタイプです。
庭のヒマワリが少し枯れてきたら娘が「ヒマワリの種は食べれるんでしょ?」と言い、「種が取れたら食べるんだぁ」と嬉しそうに言っていたのですが、この種類は観賞用なのか、種は取れませんでした。が、娘は「ヒマワリの種はおいしくなかったぁ」と後日言っており、よくよく聞くと、種らしき部分を食べてみたそうです。娘は、種蒔きをするヒマワリの種の袋を見て、綺麗だからと選んだのではなく、見た後に食べることまで考えて選んでいたようです。
「親が花を見て食べものを連想してしまうと、その子供は連想を飛び越えて、実際に食べるという行動を起こす傾向がある」という、夏休みのおとなの宿題のうち、自由研究の発表でした。
ところで、梅雨のアジサイ、夏のヒマワリの季節は終わってしまいましたが、9月16日(祝)には敬老の日というイベントがあります。おじいちゃん、おばあちゃんへのプレゼントに迷ったら、感謝の気持ちを込めてお花のプレゼント!などいかがでしょうか。