【番外編】フラワーセンター恐怖の鯉
七回の連載となってしまった神奈川県立フラワーセンター大船植物園でしたが、書き残したことがあったので、またもや飽きもせずに綴ってみました。
日々の暮しとは直結しませんが、それでも時にはお出掛けをして息を抜くのは良い事ですね。生活に汲々として、心が乾いてしまわないようにしたいものです。
ばら園の屋根付き休憩所内では雀がすぐ近くまで来て、たくましくおこぼれにあやかろうとしていました。こういう光景にもホッとさせられます。
始めは雨模様のため行くことさえ躊躇しましたが、いざ行ってみると、なんとものんびりとしたもので、たぶん園外の車や自転車・バイクが走り回る危なっかしい世界とは一線を画す、子供でも安全に歩ける・走れる環境がそのような気分にしてくれたような気がします。
さて、番外編で一番書きたかったのは「鯉」です。
何故に鯉かというと、子供たちは「カワイイー!」とか言っておやつのお菓子をあげたりしていましたが、私はとにかく、あの何倍にも大きく広がる口に恐怖を感じるのです。
そしてどれだけ餌をあげても飽き足りない旺盛な食欲に、子供たちを彷彿とさせる生命力を感じずにはいられません。餌に引かれてどこからともなく集まって来て、気が付くと「この池には鯉がこんなに居たんだぁ」と思わざるおえないくらい、湧いて出てくるように大量発生するのです。恐怖以外のなにものでもありません。
結局、おやつの一部では少なすぎて「もっとあげたい~!」「鯉が欲しがってるよぉ~!」と鯉のように凶暴な二人が大騒ぎをするので、池の向かいにある「レストハウス」におせんべいを買いに行ったのでした。
ただ、池の鯉を見ていて想い出したのは、昔、伏見の寺田屋へよく泊まりに行っていた30年位前に当宿で見た、坂本龍馬の漢詩です。
遊魚動緑荷(ゆうぎょ りょくかを うごかす)(ゆうぎょ どうりょくか)
解釈としては、「池に遊ぶあの魚たちでさえ、蓮の葉を動かしている」「池に遊ぶあの魚たちでさえ、自分の思うとおりに浮き草を動かしてる」「池の魚が蓮の葉を動かして戯れている」といった意味ですが、私が書いたら「だから何だ」と言われておしまいですが、龍馬が書くと「人々は自分から、なぜ動こうとしないのか」「人間が国のために政治を動かすのはあたりまえではないか」などと、嘆きながらも憤慨しつつ決意を新たにする深い意味になるのです。
最後はやっぱり「花時計」ですね。アップで長短の針を見るとこんな感じになっており、秒針があれば稼働しているかどうかすぐにわかりますが、秒針がないので本当に分かりずらいです。じっと見ていても、動いているような気がする位の気分で「本当に動いているよなぁ・・・」と自信を持って言えません。
みなさまも一度、花時計の針が本当に動いているかどうか確かめてみてください。