きれいな片瀬江ノ島
前回は、濃厚な娘との時間の中で、娘から、これ以上ないもてなしを受けてしまいましたので、お返しに【江ノ島】に行ったお話です。
今週は、息子の幼稚園は個人面談週間のため、体操服のまま朝から登園して、お昼前には帰って来ます。なので、午前中は娘だけですが、午後からは2人揃ってしまいます。
そこで、じいちゃんから、「お正月に江ノ島に行けなかったから、一緒に行こう」と、誘われていましたので、じいちゃんも一緒に、月曜日の午後に出掛けてみました。
ホテルパシフィックとパシフィックホテル
近年、「東京ディズニーランド」と「東京ディズニーシー」を合わせて、「東京ディズニーリゾート」と言うようになったらしいのですが、「パシフィックパーク茅ヶ崎」の中核としての「パシフィックホテル茅ヶ崎」(地元では通称「パシフィックホテル」)といまさらながら、こちらも解説されているようですね。
今では、上原謙と加山雄三が共同オーナーだったとか、著名人が多数訪れたとか、ホテルだけでなくドライブイン・ボウリング場・ビリヤード場・プールなどの娯楽施設を併設していたとか、最終的に横井英樹に買収されたとか、などなど・・・世相を反映した数奇な運命でしたが、バブル崩壊後は、1997年末まで廃墟としてホッたらかされ、横井英樹が亡くなった1998年に取り壊されました。
そして、1999年、跡地に建った高級マンションが上の写真の「パシフィックガーデン茅ヶ崎」という、リゾートマンションです。
ちなみに、ブレッド&バターの「HOTEL PACIFIC ホテルパシフィック」は、1981年発売。作詞は呉田軽穂(くれた かるほ、ことユーミンこと、松任谷由実です)、作曲は岩沢二弓。サザンオールスターズの「HOTEL PACIFIC」は、2000年発売。同年夏に、茅ヶ崎公園野球場で開催された、「茅ヶ崎ライブ」の記念曲として制作・発売されました。また、サザンオールスターズと研ナオコが歌った「夏をあきらめて」の2番にも、「パシフィックホテル」が登場します。
変われば変わるものです。
江ノ島に向かう途中、信号待ちの時に、車中から撮影をして、昔を想ってみました。でも、後ろの席から子供たちが「お父さん、何撮ってるの?」「私にも撮らせて!」「カメラ貸してぇ!」「あっ、おねえちゃんズルイ!」とか、大騒ぎとなり、結局、「運転しながら、カメラを撮っちゃダメでしょ!」と、私が妻から、怒られました。みなさんも、運転中は気をつけましょう。奥さんに・・・
妻に怒られてしまいましたが、気分を変えて。海岸線の国道134号線は、道路の拡張による片側2車線化が進んで、茅ヶ崎から江ノ島まで、平日ならこんな感じで空き空きなので、15分くらいで行けます。
現在、江ノ島~平塚の馬入まで片側2車線になっており、平塚の虹ヶ浜~大磯の西湘バイパス入口までを、気が狂ったように、造成して道路を拡張しています。「あっ、また写真を撮ってる!」と、また、妻に怒られてしまいました。もちろん、チクッたのは、子供たちです。信号待ちじゃだめか・・・
ワイワイと怒られたりするうちに、あっという間に到着しました。
エノスイ(新江ノ島水族館)横の、昔は交番で今はトイレとなっている場所の、裏の「江ノ電駐車センター」に車を停めて、ここからは歩きで移動です。
「東洋のマイアミ海岸」と呼ばれている、「片瀬海岸」では、現在、夏に向けて、海の家を大忙しで建設中です。もう夏ですね。
それにしても、ボランティアの方々や、NPO法人の方々のゴミ掃除・回収のお陰で、ゴミのないキレイな海岸が保たれていました。ありがとうございます。子供たちも、裸足で砂浜を走っていました。
江ノ島に関しての情報は、藤沢市およびNPO法人湘南ふじさわシニアネットが協働で運営されているサイト
えのぽ 江の島・藤沢ポータルサイト
を、ご覧いただくとして、まず、「洲鼻通り」と呼ばれる、江ノ電「江ノ島駅」から下車をして、江ノ島へ向かう途中の、土産物店が並ぶ通りに行きました。この通りは、江戸時代に江ノ島弁財天詣に向かう旅人向けに、境川河口の砂州に設けられた道が起源、といわれています。
今回、じいちゃんが子供たちに、どうしても味合わせてやりたかったのが「射的」です。
州鼻通りに1軒だけ残っていました。「スマートボール」を楽しんだあと、「子供は台の上に乗っていいよ」と、おばちゃんが言ってくれたので、台の上から、生まれて初めての射的に挑戦です。
結果は、仲良く1個づつ落とせたので、奥の壁に飾ってある景品から、好きなものを1個づつ選びました。娘は、小さな犬の置物を、息子は、スポンジの玉が飛び出す鉄砲を選び、さらに、指でまわす独楽(コマ)まで、オマケにいただきました。
跳ね返ったコルク玉を、また打たせていただいたり、狙うコツを教えていただいたり、現代の、うるさいくせに、無機質なゲーセンでは、味わえない遊びを楽しませていただき、ありがとうございました。
ちなみに、この後、娘は「カッワイイなぁ、ワンちゃん。わたしね、ワンちゃんを飼いたいなぁ~。でも、わたしがまだ小さいから、人形で我慢するね!」と、嫌味たっぷりにアピールしており、息子は、鉄砲をじいちゃんに向けて、怒られていました。
射的を楽しんだら、こっちがメイン?の海岸での貝殻拾いです。
結局、波打ち際で、おとなしく貝殻拾いを楽しんで、満足するような子供たちではないので、二人ともパンツ姿になり、太ももまで海に入りながら、波と戯れていました。貝殻拾いをしていると、生きた小さな赤ちゃん貝がいて、波が引くたびに、体を縦にして砂の中に潜っており、「生きた貝がいる!」と、娘は大騒ぎで、今度は、貝集めを始めました。
結構、沢山集まりましたが、みんなシジミよりも小さい赤ちゃん貝なので、「持って帰って、食べる!」と騒ぐ娘に、海に帰すことを言い聞かせると、「もっと、おっきくなったら、バイバイした貝を取りに来て、食べてあげるから、帰してあげる!」と、妙な納得の仕方をしながら、笑顔で海に赤ちゃん貝を帰していました。次に食べるために帰す・・・お前、たくましいなぁ。
ただ、悲しかったのは、「この赤ちゃん貝も、放射能汚染に曝されてるのかな」とか、「この海も、放射能汚染で大丈夫かな」とか、「魚を捕っても、食べれるのかな」とか、「セシウムは川から海にも流れているけど、野菜は大丈夫かな」などなど、常に「放射能汚染」を考えなければならず、今後は、子供たちにも「放射能汚染」のことを、しっかりと教えていかなければならず、楽しい想い出の中にも、「放射能汚染」が付きまとうことが、とても悲しく思いました。
さあ2時間近くも海で遊んだから、風が出る前に帰りましょう。
帰るとき、パンを食べていた人が、「トンビ(トビ)」に襲われて、食べていたものが砂浜に転がると、何羽もトンビが飛来して、食べ物をさらっていきました。
間近にトンビが来ると、ホント大きくて、彼らも頭がいいので、後ろから急降下で飛来されると、アッという間の瞬間芸です。みなさまも、海に行った時には、お気をつけ下さい。
さて、次に来るときには、あの赤ちゃん貝は、どれだけ大きくなっているでしょうか。今から、食べることだけが楽しみな娘でした。
帰宅したら早速、戦利品の貝殻を洗って、干しました。
牡蠣(カキ)みたいな貝が多いですね。願張りました。でも、良く見ると「松ぼっくり」も入ってます。息子が、駐車場横で拾ったもののようです。
これを見て妻がひとこと、「家の中には、持ち込まないでね!踏んだら足を切っちゃうんだから。」ごもっともです。
あとで見たら、娘と息子が、ウソっこの料理の材料にするべく、土だらけのママゴトセットの横に、置いていました。今度は、 娘の手料理 の続編としてシーフード料理ですかね・・・
編集後記
最後まで、お読みいただきまして、ありがとうございました。今日、6月9日は、内田裕也さんが推奨されるように、「ロックの日」ですが、往年のパシフィックホテルの、独特な姿を見ながら終わりにしたいと思います。
茅ヶ崎のパシフィックホテルをイメージして曲と映像を作った 「Good bye PACIFIC」
パシフィックホテルが取り壊されてから、もう15年ですか・・・
こんばんわ。
江の島は室町時代には「江の島合戦」という戦争の舞台にもなりました。今や観光地ですが、そんな歴史があったということを知っていただければ、観光に学習の効果ももたせられるかと思います。お粗末さまでした。
ホテルパシフィック、懐かしいです。
記憶にまだ残ってます。
今はマンションになっちゃったんですね。
湘南のシンボルだったのでしょう。
なんとなくさみしい気がします。
海が近いといろいろ遊びに幅ができていいですね。
お子さんのシーフード料理、楽しみですね。
先日も江ノ島に行く途中、パシフィックホテルがあった場所が
解らなくて・・・
マンションが建ってたんですね
昔はホテルの形がユニークで、あ~加山雄三さんのホテルか・・・
なんて眺めてましたよ(笑)
何かスッキリした気分です
情報ありがとうございました
こんばんは^^
片瀬江ノ島につられ来ました。
私は5月末の午前中
片瀬江ノ島まで歩いて行きました。
砂浜の方へは行かなかったのですが、
海の家準備しているんですね(^o^)
こんにちわ~
わぁ~~、泣けてくるわ。懐かしすぎて・・・。爆
15年?!び~っくり!!そんなに経ったかぁ。
ホテルのプールの割引券をよくもらって夏休みに行ったな。
ブレッド&バターを知らないで、前にビーチでイベントやってて友達4人で遊びに行った時にそのどちらかのおっさんに「すいません、写真撮ってもらっていいですか?」って言ったら、笑顔でいいですよって言われて、カメラを渡して4人で並んでポーズをとったら急に「今、そんな事してる場合じゃないんだよ!!忙しいんだよ俺は!」って言われて後からそのおっさんがブレッド&バターの歌手だって聞いたっけかなぁ・・。爆爆爆!!!
こんばんは。
昔鎌倉山にいた事があって、江ノ島、鎌倉など懐かしい所です。
無邪気な時代が終わってしまった事は本当に重く哀しい事ですね。
湘南の響きはいいですね。九十九里とは雲泥の差があります。同じ海なんですがね。洗練されたリゾートととして花匂う砂浜に対して、イワシ、魚の臭いがキツイ漁村という差ですね。同じ海なのに。
戸塚にいた時に、よく土曜日、仕事が終わった後に、江ノ島近辺に仲間と行きました。七里が浜の「白いサンゴ礁」でしたか、ハワイアンレストラン、スペアーリブ、ハンバーグカレー、パフェ、うまかった記憶があります。30数年前のことです。
サムライ銅像研究会さん、コメントをありがとうございました。
確かに、観光に学習効果が出るようにすれば、一石何鳥も可能ですね。
密かに、学習効果にカコつけて、行きたい所に行ってみようと思います。
美雨さん、いつもコメントをありがとうございます。
ホテルパシフィックは、まだ記憶にまだ残ってますか。独特な形が特徴的でしたからね。今でも、跡地のマンションの周りを、見て回る人を見かける時があります。そうそうシーフード料理・・・貝殻を入れた洗面器を子供たちが家の中に入れて、居間の畳の上にひっくり返してしまい・・・修羅場を想い出すと怖いので、この話はこのへんで・・・
ラムさん、コメントありがとうございました。
そうなんです、パシフィックホテルは無くなりましたが、旧・上原謙および加山雄三邸は、別の方が住まわれていますが、塀がめぐらされた当時のままに残っています。以上、地元ネタでした。PS,現在、我が家では子供たちが犬を飼いたい運動をしています。
かっちさん、こんばんは。コメントありがとうございました。
海の家は、近年、大型化と提供する料理をウリにする所が、多いようですが、働く人のガラがチョット・・・という感じです。娘さんの空手の応援、願張って下さい。
今日、雄三通りを海まで自転車でブラつきました。私の場所の認識が間違っていなければの話ですが、旧上原謙・加山雄三邸ですがマンションになっていました。
茅ケ崎の住人さん、こんにちは、コメントありがとうございました。確かに、先日、旧上原謙・加山雄三邸がマンションになっていたのを、確認しに行ってきました。車から見たとき、旧邸の南側の他の方の邸宅を勘違いしていたようです。ご指摘ありがとうございました。わかっているようで、見逃していました。ついでに桑田さんの実家を確認しましたが、こちらはちゃんと表札も出ていました。